こたつむり

いくつ歳をとっても言葉遊びは楽しい。私がやるのはいわゆる「おやじギャグ」というやつで、若い世代がいう「洒落」には届かないらしい。
<smoke>と<fog>をあわせればスモッグ、ネットとエチケットを単語にするとネチケットである。私の感覚からすれば親父ギャグになってしまう用語法も、英語となれば仕方がない意味がある。
私は、なぜか若い頃から、「小学」という辛気臭い勉強をしてきた。『説文解字』という辞書には、「声訓」と言われる解釈法がある。「日 實也」とか、「東 動也」というもので、似たような音で語義を説く方法である。『説文』にもかなりあるが、『釋名』という後漢代末の辞書になると過半がこの声訓で解かれている。
この傾向は、魏晋代の『廣雅』や南北朝の『玉篇』『切韻』などの辞書でも見られるから、まあ普遍性のある方法と言ってよい。
声訓といえば聞こえがよいが、言ってみれば洒落みたいなもので、どこかに遊び心がある。地味な学問ながら、こんなところにも楽しみがあるわけだ。
それぞれの家にはその家にしか通じない表現があるようだ。我が家では、「踏まれたり蹴られたり」などがそうである。
このあいだ、寒い時期の過し方について話をしている時に、ある若者が聞き取りにくい単語を言うので聞き返してみた。その子の家では、特に冬場になって一日中炬燵のもりをして暮らすことを「こたつむり」と言うらしい。
その造語の巧みさに思わずうなった。蛇足ながら語義を解説すると、「こたつ-かたつむり」が「こたつ-むり」又は「こ-たつむり」になるわけだ。炬燵に入ってしまうと、よほどのことがない限り、外には出たくなくなる。その姿とスピード感を、「トド」でも「なめくじ」でもなく、「かたつむり」で表した点に見事さがある。
駄洒落にも、結構奥行きがあるではないか。