邪馬臺國(3) -「壹」のまとめ-

『三國志』倭人条の「邪馬壹國」は、「邪馬臺國」が原形であり、陳寿の大義名分論による書き換えであると考えてきた。「壹」を中心にして、この点にどんな特徴があるのかおさらいしておく。
1 王沈らの『三國志』では「壺」を「壹」に書き変えていた。両字は音義共に異なっており、仮借字の中の一字を換えている。仮借字は漢字の音を仮に借りてその王名を表したものであるから、音の異なる字を使うことは原則としてありえない。これでは原形を復元できないことになる。いくら字形が似ているとは言え、やりすぎだろう。
2 陳寿が「闕」を「厥」に代えたのは、類似音を使っており、それなりに筋が通っている。
3 陳寿が「臺」を「壹」の変えたのは、この場合、両字の音が異なっている点に留意しなければならない。國名には、それぞれ「蛮夷」の語が反映されている場合があるし、中国側の命名であっても何らかの特徴を文字で表している場合もある。王沈らの前例にならっておりそれなりに手堅いとも考えられそうだが、いくら大義名分論とは言え行き過ぎである。この見地からも、「壹」を仮借字とみなすことはできない。ただ、「臺 輩也」「壹 輩也」の義が共通すると解した可能性はある。
4 陳寿が「聖臺」を「聖壹」とする例は、一応、3との一貫性をもっているように見える。但し「聖臺」は個人名であり、他の文脈との整合性を失っている可能性が高い。やはり行き過ぎだろう。
5 「一拜」を「壹拜」とする例は、「一」「壹」がほぼ同音で類義だから、歴史家として好ましいとは言えないまでも、それなりには理解できる。「一拜」を復元できるのであれば、倭人の習俗が一部見られたことになるから、他の解釈に影響するかもしれない。
6 「臺與」「壹與」については論証が不十分で、自信まではない。(『説文』入門46)
ただ、書き変えとすれば、国家名と女王名を対応させている可能性がある。この点は、「伊-聲耆」「都市-牛利」がそれぞれ「伊都國」に関連する可能性が生まれるので、さらに検証を続けなければなるまい。
以上、列島史に関連しそうな大義名分論による書き換えを見てきたが、「邪馬臺國」が手垢のついていない表記と考えられるので、「臺」を音義共に課題として取り上げる準備が整ったと言ってよいのではないか。

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