『説文』入門(49) -「耆」「老」-

今回は『説文』のシリーズで書くか、それとも他のテーマにするか迷った。「耆老」は史書にしばしば登場する用語であり、かつ私が還暦を過ぎたことから、近ごろ公私ともに還暦が話題になることが多い。よってこれについてしっかり調べたかったが、各説あり、『説文』もその一つに過ぎないからである。
『史記』はご存知だと思う。何せ古い書物であるから、その解釈には各時代に施された注が役に立つ。古来『集解』『索隱』『正義』が三注とされ、重要視されてきた。
このうち『正義』は唐の張守節が著したもので、その「謚法解」を読んでいると「保民耆艾曰胡」という文が出てきた。守節は「六十曰耆 七十曰艾」と注を施している。「謚」は死者に贈る名ということだろうから、「保民耆艾」する人物に「胡」と追贈するわけだ。
『説文』「耆」は「耆 老也 从老省 旨聲」(八篇上408)で形声字、「老」は「老 考也 七十曰老 从人毛匕」(八篇上405)だから会意字である。
これから「耆」段注の「許以耆爲七十巳上之通偁也」は「老也」から採られた説で、それなりに根拠があり、確かに許愼は「耆」を七十以上と定義しているとも解せる。
ところが『禮記』では「五十曰艾 服官政 六十曰耆 指使 七十曰老 而傳」(巻一曲禮上)となっている。つまり「七十曰老」は『説文』と同じだが、「六十曰耆」からすれば「耆」は六十を越えた者を指すことになる。
また『釋名』も「六十曰耆 耆 指也」(巻三 釋長幼第十・14)で、六十歳を基準にしている。この点では、守節は『禮記』『釋名』説と同じである。
『廣雅』は「艾 耆 老也」(釋詁・13)となっており、これらからすると『説文』の「耆 老也」は「老」を老人の通称とも解され、必ずしも後半部分の「七十曰老」に拘らなくてもよいのではないかとも考えられる。
段氏が「耆」を七十歳以上とする説を紹介したが、私は、以上から『説文』の「耆 老也」は「六十曰耆」と乖離しないと感じている。よって『禮記』『釋名』説に従い、少なくとも戦国時代以後魏晉代まで、「耆」「老」はそれぞれ「六十」「七十」だったと解せないか。
さらに「艾」につき「曲禮」が「五十曰艾」、守節は「七十曰艾」としており、それぞれ全く異なっている点に注目する人もいるに違いない。残念ながら、今回はそれぞれ根拠がありそうなことだけを述べて、紙幅の関係から端折ることにしたい。

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