「委」再論

このコラムを引き受けた時に、よほど必要がない限り細かな音韻については書かないと決めていた。今回は特に必要を感じたわけでもないし新たな情報があるわけでもないが、整理するために勘弁してもらいたい。
既に金印シリーズで、金印という一級の金石史料で「委」と表記されている以上、『漢書』地理志や『三國志』『後漢書』などで使われている「倭」の仮借ないし略体であり、「ヰ」であって「ワ」とは読みがたいと考えてきた。『三國志』魏書東夷傳倭人條で「渡」「度」が混用されるなど、こういった用例は相当数あり枚挙にいとまがない。
秦漢初期まで遡って、再度、「委」の音を確かめてみようという試みである。
1 「委」は『説文』で「从女 禾聲」とする。「禾聲」だから、恐らく仮名音で「カ」「クァ」などが先秦古音として存在したと想像できる。
フォントの関係でお見せできないが、私は女偏で横に「禾」でつくる字形がこの音を表す文字として特化したと推測している。音からすれば「委(ヰ)」が定着した為に横に「禾」でつくる字形が後に作られたか、あるいは「委」の字形が枝分かれしたとも考えられる。甲骨文や金文などで確認する必要があろうが、篆書体からして、「委」の「ヰ」音が秦漢初期に遡れる可能性が高いだろう。
2 「倭」の音転した時期がはっきりしないとしても、金印という公文書に「委」が使われていることから、後漢代前半の時点では同音だったと考えてよい。2008年07月28日付けの金印(9)で示した。
3 『史記』巻九十九劉敬叔孫通列傳第三十九「道固委蛇」の索隱に「音移」とあり、「委」の音を「移」としている。
『説文』「移」は「移 禾相倚移也 从禾 多聲」(七篇上197)で、「多聲」(七篇上130)は古音として後漢代でも認識できていたのかもしれない。
だが、『玉篇』は「移 余支切 易也」(禾部一百九十四)、『廣韻』「移 遷也 遺也 延也 徙也 易也 弋支切」(上平聲巻一 支五)となっている。段注は「弋支切」とするから、『廣韻』説を採用しているとも言えそうだ。「侈」などから「シ」あたりの音も考えられるが、以上からすれば、少なくとも魏晉代以後は「ヰ」に類似する音だったと考えてよかろう。私は、段氏玉裁説を採用し後漢代でも「ヰ」であって、当時も「タ」は古音と認識されてしたと解している。とすれば、司馬貞は前漢代でも「委」「移」が「ヰ」であったと解していることになる。
以上、更に検証する必要があるとしても、少なくとも秦漢以後は「倭」「委」が共に「ヰ」音であったと考えてよいのではなかろうか。

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