嫁と姑

これだけ平均寿命が長くなると、それぞれの人間関係も驚くほど長くなる。夫婦でも三十年や四十年続いても珍しくないご時世である。嫁と姑もまたしかり。
幸いと言うか、私の周りでは娘たちを含めて、この関係で長い間苦しむということはなかった。母親が割合早く亡くなっていたり、別居したりして、同じ屋根の下で暮らすことがなかったからだ。また旧家なり、たんまり金がある家と縁がないということも一因だろう。
例え確執があったとしても、長く続いたということはないと思う。従って、嫁姑のもめ事はあちこちで耳にすることはあっても、さほど実感することはなかった。
ところが、近頃聞いた話が凄まじい。貧しい家から嫁いで来たからか、嫁の気立てが気に入らなかったからか、姑は心を通わそうとはしなかった。嫁の実家付近を通ったときなど、そのたたずまいを詰ったと言う。これはつらい。
たびたびの当てこすりで、嫁の心は凍っていき、徐々に恨みの芽が育ってしまった。恨んでいたと言っても、昔気質の人であるから、必死にかしづいたそうな。舅もまた、元気な間は、きつい言葉を使ったらしい。
今なら、旦那を説得して彼らと別居するか、離婚しそうである。
だが、彼女はそうせず、同居し続けた。きっと何か支えがあったのだろう。案外、舅姑が見えないところで優しかったのかもしれないし、連れ添いがしっかりしていたのかもしれない。だが時間がたつにつれ、彼女の心の中にはもやもやしたものが根付いてしまった。
それでも人生は摩訶不思議である。舅が倒れ重い病につくと、昔の事であるから、嫁に下の世話や残った腕をさすってもらうことになった。嫁が冷たいおやつもっていくと、「うまい、うまい」と言って嬉しそうに食べたという。
姑もまた、何の病だったかは聞いていないが、重篤の病にかかって入院した。主として嫁が世話したそうで、姑は素直に「うれしい、ありがとう」というような言葉を出したそうだ。
二人とも、丈夫な間はこの種の言葉を出さなかったという。してみると彼らは病気になって初めて、嫁に心を開いたことになる。心細くなったのか、嫁の優しさが身に染みたのか、ともかく最後は感謝しながら亡くなった。
嫁の話。介抱して心が通ってみると、長年抱いていた恨みみたいなものがすっと無くなって、彼らを愛おしく感じた。これを思うと、病に倒れることもあながち悪いことばかりではない。人の一生はこうやって帳尻を合わせるものだろうか。
多くの人は、ひたすら自らの完成度を上げ、弱みを見せずに生きたいと思うだろう。何もこれが悪いわけではないが、自らの性根をみつめ、素直に弱点をさらけ出せば、存外楽しくやれるものかも知れない。

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