礼節

年賀状を書くには手遅れかもしれない。どこにいても私であることに変わりないわけで、こっちに越してからも、何かと周りの人に礼を欠くことが多い。
似たようなことも、視点が変われば、面白みが出てくることがある。私は、「衣食足りて礼節を知る」という考え方を支持している。日常の糧にも事欠くのでは、落ち着いて物事を考えることは難しい。義理を欠かないためには、豊かでないとしても、それなりに暮らしていけることが必要である。ただ、これだけではただの十分条件にすぎない。
『禮記』という古い書で、「先財而後禮 則民利」という文に出合った。たまには私でも棒にあたるらしい。鄭玄という後漢代の大学者が、「財 幣帛也 利 猶貪也」という注を施している。
まあ「財」は、財産の財と考えてよかろう。とすれば、充分に生きる財を得て後に、本当の礼節が生まれるという考え方が古くからあったことになる。皮肉に読めば、礼儀などさておいて、まずは金儲けが大事なのだとも解せそうだ。
「賢」という字もなかなか面白い。段注の『説文』では「賢 多財也」となっている。意味については一目瞭然だろう。賢いというのは、財が多いことである。
財を得るには、才を働かし、隠忍自重して苦労に堪える必要がある。こうやって自力でのし上がっていくのは確かに尊敬に値する。金を稼いで、身を立てるというのは立派な行為である。
ただ、権力やらコネなどで富を得る者もいるのであって、このような人もまた賢人と呼ぶのは気が引ける。
本日の話は、ここからが本番。多寡の違いはあっても、財をえて、礼節を弁えられる状況になったとしよう。はたして、人はこれで自らを律し礼節をつくそうとするだろうか。
引用した『禮記』の後半部分が、昔も今も変わらぬ人の性を抉っているようにみえる。人には簡単に変えられない人生観が住みついている。一生懸命金を稼ぐことに人生を費やした者は、これが習い性となり、財を得たとしてもこれに満足することはない。例え金が充分あっても、減っていくことが不安でたまらなくなる。才があって官に登用されても、権力を振りかざして蓄財し、手にした金を持って逃亡するなどというのも珍しくない。とすれば、市井の人間は、永遠に徳が得られず、貪り続けるほかないのだろうか。
それなりに資を得た人が礼節を弁えるには、これを尽くせば、心安らかに暮らせるというような幻想が必要だろう。かような人生を評価する社会が前提にあって、初めて礼を弁えようとするのではないか。個人の努力以前に、世の根幹に法が働いていなければならない気がする。

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