野と原(上)

郡上市の美並から八幡にかけて、「野」と「原」がつく地名が多い。はっきりした理由はわからないが、分布からすれば偶然とは思えない。今回は「野」を中心に楽しんでもらいたい。
「野」の音は「ヤ」「ワ」「ショ」「ジョ」あたりで、訓は「の」である。『康煕字典』から『説文』に至るまで「里」部四画で、「予」が声符となっている。
義は、「郊外也」が分かりよく、まあ中心から離れたところという意味。古くから中心部より郊-野-林-冂(ケイ)の順に遠くなっていくので、「野」は「林」「冂」よりは内側にある。なぜ「野」が「郊」の外になるかと言うと、前者が里部にあることがヒントになる。
つまり「野」は「野人」であり、田舎で人のまばらな「鄙」と解せるのだ。「林」や「冂」とは異なり、「野」を集落のある地とみて、鄙人の暮らしているイメージが持てるのである。
ところが「原」には人の気配がない。「原」は篆書体まで遡ればややこしいところがあるとしても、まあ「厂」「泉」で作られた会意字とみてよい。
これから「野」が語頭につく「野首(のくび)」「野尻(のじり)」がそれぞれ集落の上下(かみしも)を、「野辺(のべ)」がその周辺を、「野黒(のぐろ)」が隅を表していると考えられないか。「野口(のぐち)」を含め一般名詞に使われている場合が多く、すべて訓読みされている点が心強い。
郡上市を俯瞰してみると、美並の方から順に母野(はんの)、木尾(こんの)、福野、八幡に入ってから吉野、中野、小野である。中世史料に見られる地名が散見する。
また分かっているだけで、和良には横野、東野があり、西和良には平野、半板野などがある。
これに対し、かつての上之保地区は少ない。上之保に広いところがないわけではない。むしろ、大和から白鳥にかけて広々したところが多い。小字を含め調べ尽くしていないだけかもしれないが、吉田川以北ないし以西に「野」「原」のつく地名が少ないと思う。尤も高鷲の北端まで行けば蛭ヶ野があるので、おおまかな傾向とみてもらうとよい。
西和良のみならず、和良にもかなり見られるのは必然性があるかもしれない。この点は、「原」についても同じである。
長良川筋の美並から八幡まで「野」の多用されている地区とみてよい。この地区は中世の吉田庄にあたるところで、私は中野及び小野をその中心に据えてきた。史料が少ないので推論に過ぎないとしても、「野」のつく地区がこれだけ続くと、平安代まで遡れるような気がしてくる。
この分布を郡上郡衙の設置時期あたりまで遡れば、郡上郷を中心にして安郡郷、和良郷に分布が濃く、上之保地区に少ないということになる。これは上之保が郡衙とはある程度距離を置いたことを示すかもしれない。

前の記事

千虎

次の記事

野と原(中)