野と原(中)

一般に地名につく「野」「原」「平」は平地を表し、中でも「野」は広いところを指すことが多い。ただ「平」には異論があって、山の緩やかな斜面とする説もある。
前回、美並から八幡にかけて「野」「原」のつく地名が多く、上之保地区には少ないと書いた。
上之保(栗垣郷)は広いところがけっこう多く、大字に「野」「原」のつく地名が多くても不思議はない。尤も私は古代における上之保の北境について不案内なので、緩やかに白鳥や高鷲を含めて考えておく。
小字(こあざ)については、鄙の集落ではなく、野原の意味ならばそれなりにあるようだ。茅野(美並・木尾、大和・牧)は茅が広がっている印象があるし、桜野(白鳥 大島)は字の通りであればかなり桜の木が立っていただろう。小地名なら、これらの他にも野のつく地名はありそうだ。
蛭ヶ野は広域名で、字からすれば蛭の多い湿地とも解せるが、水辺に野蒜(のびる)の群生する地とみる説もある。これもやはり緩やかな高原という意味で、集落を表すと考えにくい。
これらに対し、白鳥の「野添(のぞひ)」「野里(のざと)」は「野」が語頭につく村落名である。前者は慶長の郷帳に、後者は正保郷帳に載っている。
不思議と言えば不思議だが、「野」が語頭につくと集落の語感が残るものが多い気がする。「野添」は「野辺」と関連しそうだし、「野里」は「野」から「里」の意味が消えてから新たに「里」をつけた印象もある。
これらを含めても、上之保地区には「里」という語源に遡れる用例が少ない気がしている。但し小字でも、大和牧の「野首(のくび)」は「野尻(のじり)」と対比して、鄙のイメージができるかもしれない。ただこの両者は郡上の他所でもかなり見られるので、一般名詞化した後に広がった可能性もある。
スペースが足りなくなってきた。ここで「原」のつく地名について触れておく。
南は須原から。現在は美濃市になっているが、かつて郡上郡に入っていたことがあり、同じような傾向があるだろう。洲原(すはら)神社がよく知られている。
美並から八幡にかけて長良川沿いに、大原、勝原(かっぱら)、梅原、東乙原(おっぱら)は左岸、高原(神原 コウはら)、杉原(すいばら)、西乙原、門原(かどはら)、鈴原(すずはら)は右岸で、ずらっと並んでいる印象である。
「野」と異なり、「原」という文字にはそれ自身人の匂いはない。にもかかわらずこれだけ集落名についているのは、後の開拓によるかもしれない。
少し種明かしをしておくと、「宇留-良」や「鈴-良」などの「ら」を、この「原(はら)」を始め「洞(ほら)」「平(ひら)」などの省略形として模索しているところだ。

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