柿の木往生

この夏、我が家の庭にあった柿の老木を根元からばっさり切ってしまった。本の直径が一尺ほどあった。たった一本というなかれ。
さんざん考えたあげく切ることにしたのは、私がここで死ぬ覚悟ができたからかもしれない。大屋根を修復して、雨漏りの原因を一つ一つ消しても、最後にまだいくつか心配事が残る。
隣りとの切り合いは大方片付いたし、大き目の樋と桝をつけたので大屋根の雨が継ぎ足した台所と母屋の間へ入り込むことは殆どなくなった。それでも、強く降ると、台所の屋根を打つ雨が跳ねかえってくる。これは構造上の問題なので、現在の経済状態ではどうにもならない。
そして、柿である。実がならない年はあっても、葉っぱが茂らない年はない。夏場だと、直射日光を遮ってくれ、庭が涼しかった。ただ日当たりがよくないという意味にもなり、手水鉢に溜まった水をしばらく放っておくとボウフラが涌き、蚊が飛び回る。
何事にも裏表がある。これにも恵みがあり、そのボウフラや蚊などを狙って蛙やトカゲ、ヤモリなどの小動物が集まり命をつないでいた。年に二三度は蛇も現れた。
街中にもかかわらず様々な小鳥が集まったのも、もとを辿れば柿木によってできた生態系によるだろう。
柿の葉はばっさり落ちる。木が大きくなりすぎて、風向きによっては隣へ飛ぶし、裏の用水へも落ちる。隣家や用水の管理をしている団体へ頭を下げるのは恒例になっていたし、用水の掃除も欠かせなかった。落ち葉が樋につまって、根気よく取り除かなければならなかったことも忘れられない。
我が家の庭に落ちたものは腐葉土にしたり、たき火に使い焼き芋を食べたものである。ところが十数年前だったか、市の条例で焚火がし難くなった。落ち葉を焼くことが憚られるようになると、葉っぱが厄介者になる。
それでも根気よく葉を集めてきたのは、自分が柿の木を切る張本人になりたくないのと、やはり秋になると実りをもたらしてくれたからである。干柿や熟柿が美味かった。
いざ切ってしまうと、日当たりがよくなり、洗濯物がよく乾くようになった。風通しがよくなったからだろう、夏のことでもあり、あっと言う間に乾く印象である。心なしか例年より蚊が少ないように感じている。それまで日陰で生き延びていた茗荷が勢いを失ったように見える。
下草がよく生えるようになった。それまでせっせと鳥が運んできた種が一斉に芽吹いている。中には屑として捨てた野菜から、サトイモが大きな葉を伸ばし始めたし、カボチャが芽を出して蔓を伸ばし始める。
ただ、庭の周りにあちこちあった蜂の巣がすっかり影をひそめ、鳥が来ることもめっきり減った。柿木の象を思い浮かぶままに。