鼓と鐸

年を取ると、じっくり待って、温めることが難しくなるらしい。気になることを一つ一つ片づけて身軽になりたくなる。
銅鐸については以前この場を借りて、「銅鐸拾遺」(2012年03月05日付け)まで、計四編を費やしてきた。私は銅鐸が戦場における兵の進退を指示する用具として使われ、後に指揮権そのものへ昇華したと解した。『春秋經』哀三年傳に「司鐸」という宮名が記されている。周代末には「鐸」が王権を連想させるものの一つになっていたのではなかろうか。
さて今回は、兵の進退についてもう少し拾ってみたい。『周禮』によると、天官小宰や地官小司徒などが「金鈴木舌」のいわゆる木鐸を使い様々な政令を施行した。これに対し夏官の大司馬職は「金鈴金舌」の金鐸を軍用として使った。この場合の金鈴は銅器を伝統にするとみてよい。
軍の進退には「鐸」(十四篇上125)のほか、「鼓」(『説文』五篇上209)を使った。「鼓」は王の執る「路鼓」、諸侯の「貴鼓」、軍將の「晉鼓」など、軍を率いる主たる者たちの指揮具である。実際には「鼓人」と呼ばれる専門職の者に命じて打たせた。
『詩經』小雅の「鉦人伐鼓」(采芑三章)注に「鉦以靜之 鼓以動之」とあり、軍を静めるのに「鉦」を、動かすのに「鼓」を使うという。この場合の「鉦」が「鐸」を含むことは間違いあるまい。
「鼓舞(コブ)」は、鼓を使って進軍する兵を励ます舞で、春秋戦国時代にはそれぞれの国で曲調が異なっていただろう。この場合の「鼓」は、中軍などの部隊で使われるものだったと解している。
これに対し、「鐸」などは実戦部隊を指示した。大司馬職では「鐃」「鐸」「鐲」というような金鐸を使った。「鐸舞」という用語があるので進軍にも使っただろうが、退く際にも金鐸を使ったようである。むしろ私は、主として金鐸を使って軍を冷静な状態にさせたり、退却を指示した印象をもっている。
周代には「鼓」「鐸」の使い方にそれぞれ細かな規定が記されている。ただ、下って戦国時代ともなれば、国によって打ち方や振り方が異なるかもしれない。
使い方については、一般に「振鐸」だから、直接振っただろう。とすれば、大きさに制約があったと思われる。
日本の銅鐸が家畜に掛ける小さな鈴を淵源に持つのであれば、用途が変わらない限り、サイズが大きくなっていく必然性に欠ける。物と物の連続性は確かだと錯覚しやすい。やはり本邦には「鐸」として入り、「金鐸振武事、木鐸振文事」の原則に基づいて使われたのではなかろうか。残念ながら、材質が異なるからか、「鼓」と「鐸」が同時に見つかった例は知らない。

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