滝波山

平成十六年(2004年)七月の福井豪雨の時だったと思う。友人と私は共通のテーマを抱きながらもそれぞれ別の思いがあり、よく弥次喜多道中をやっていた。越前も何回か巡っており、道中を含め、その景色に少しずつ見覚えがあるようになっていた。
雨の合間をぬって白鳥から大野へ出て行く途中、我々は凄まじい光景に出くわしたのである。私の見てきた絶景の一つと言ってよい。ふと南側へ目をやると、山並みから何本も大きな滝が出現していた。それも一つ一つが凄まじい。すぐには理解できないほど驚いた。一つ一つの滝が大きく、近くで繋がっているように見えるものは大瀑布の様相であった。
私の記憶では、稜線に近い所から流れ出ていたように思う。その強烈な印象は十年以上たった今でも鮮烈に刻まれている。
その時まではこの辺りの山名など皆目興味もなかったし、普段どのような姿をしていたのかも思い出せない。今思えば、滝波山から平家岳、左門岳の連山だったように思われる。これらから更に能郷白山まで続く険しい白山信仰の尾根道である。
八幡にも城山の続きに滝山がある。杉桧が密植されている周りの山と比べてみると、木々もまばらな岩山である。大雨が降れば、やはり何本も滝ができるのだろう。
地図をみると、滝波山は標高1413mとなっている。平家岳、左門岳もそれほど変わらない。滝山とは規模がまったく異なるわけだ。その凄まじさがお分かりいただけるかも知れない。
今なら、山名が滝ではなく滝波なのが実態を表していると分かる。ただ、滝が余りに長いので波打っているのか、滝の本数が多いからかは分からない。
この大野側が穴馬であり、美濃側が板取である。板取川はこの滝波山、平家岳および左門岳を源流としている。滝波山から板取へ出ている谷を滝波谷と呼ぶ点、タラガ谷が那比と板取で共通名なのを思い起させ、興味深い。
大野側は急峻な地形から割合穏やかな谷を抜けて九頭竜川へ合流するのに対し、板取へは一気に流れ落ちている。川浦の渓谷にしても、それほど集落から離れていない印象を受ける。
穴馬の旧荷暮村からこの連山の合間をぬって峠道があった。板取の島口村と繋がっていたようである。
この島口から杉原-門原-三洞から内が谷を経由して大和へ出られる。東氏が入郡するときに使ったルートに比定されることがある。
私は、この道が白山信仰と高賀山信仰を分ける北界の役割を果たしたとみている。これについては、いずれ又。

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