牛首雑感(上)

何度やっても跳ね返される。力の足りなさを感じざるを得ないが、こんなことに挫けるわけにはいかない。混乱の原因は、牛頭(ごづ)はまた牛首(うしくび)と呼ばれることがあるものの、同一視してよいのかどうかにつきる。
前にこの欄(2014年4月21日-6月02日付け)を借りて、牛頭と牛首について考えてきた。とても十分とは言えないし、面白さが伝わったかどうか不安である。あれから、三年が過ぎてしまった。
郡上にこだわる限り、城山と呼ばれている山がかつて牛首山と呼ばれ、その山に八坂神社があり牛頭天王を祀っている事実がある。これからすれば、牛首と牛頭が同一神であることを示しているように見える。この明快な繋がりが逆に躓きのもとになっているかもしれない。
そこで越前、加賀の場合をさぐってみると、牛首が郷に匹敵する大地名になっていた。越前では大野、加賀では現在の白山市白峰で、白山信仰の拠点になるところだ。
美濃馬場でも、万場から北は江戸期に遡っても牛の飼育を中心しており、やはり牛との関連が深い。馬場(ばんば)はこれ以上馬が入れない地という解釈もある。白山信仰では牛を嫌うと説かれることがあるものの、私は本来牛を好んだ気がしている。
躓きの石はもう一つあり、高賀山信仰の一つの中心たる高賀神社で牛頭天王が祀られている点である。私は、一つの心象として、武儀の大矢田神社に関連すると感じている。
ところが高賀山信仰では七谷戸(たんど)全てで牛をタブー視し、これ以上牛が入れないことになっている。
なかなかこれを解く鍵が見つからない。そこで牛首と牛頭を異なる信仰とするか、郡上に伝わる時代ないし経路が異なっていると考えてみた。
1 城山の件は、牛首山の話が承久三年(1221年)のこととして残る一方、八坂神社は明暦二年(1656年)に建てられており、時間差がある。まずは牛首の影響があって、その後に牛頭信仰がかぶっている。
2 大矢田神社は天王山などから牛頭天王を併せ祀っていたと推定できる。高賀神社の牛頭天王が牛首と呼ばれることはない。他方、越前ないし加賀における牛首郷の他、白山信仰圏に牛首の伝承が多く、牛頭の話は多くない。成り行きとして牛首は北から、牛頭は南から伝播したと解したくなる。
城山の場合、牛首と牛頭が層をなしているように見えること。高賀山で牛をタブーとする点は、牛首を嫌うのであって、牛頭ではないと考えるわけだ。そう言えば、那比でも一時京都八坂神社の庄園だったこともある。

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