人物画像鏡(14)  -史料評価-

これはすでに画像鏡(11)で言及したもので、「日夲國」に対する私の読解を示す前に、諸史料に対する評価の序列を示しておくのがフェアと考えたので一文を起すことにした。これはあくまでこの鏡に関しての評価であって、にわかに一般化する気はない。おおまかに結論を示すと次の通り。
1 金石史料
2 『宋書』『梁書』などの中国史書及び『説文解字』『玉篇』『廣韻』などの辞書類
3 『百済新撰』などのいわゆる百済系三史料、及び『三国史記』
4 記紀
以上である。
1については異論が少ないだろう。中国の史書や辞書類といえども原本は既に失われており、写本間に異同があるから、原書そのものである金石史料には劣る。
2に関して『宋書』はその堅実な記述から、採用することに反対する人は少ないのではないか。『梁書』も編纂時期が同時代に近く信頼性が高いとしても、問題は東夷伝の扶桑国条である。
確か、『史記』だったと思う。今すぐには引用できないが、司馬遷が『山海經』など怪奇な神異思想を斥ける記述があった。これからすると歴史家にとっては、『梁書』扶桑国条の記す奇妙な記述を避けるのが賢明とも考えられる。実証を旨とする白鳥学説が、これを信用できないとして史料からはずしたのも理解できる。
だが、だからと言って『梁書』扶桑国条全てを否定できるはずもない。「扶桑国」の国家名そのものや制度が記されているあたりまで捨ててしまうわけにはいかないのである。
3の百済系三史料は、武寧王陵の発掘で『梁書』百済条などと共にその記述についてほぼ信頼できることが証明されているので、『三国史記』と共に史料の性格をある程度明らかに出来れば、使えそうだ。
4の記紀は、本来なら『日本-書紀』であるから日本史について金石史料に次ぐべきだが、残念ながら信頼性に欠けるし、『古事記』は物語性が強いため、両者の共通する記述については考慮する必要があるとしても、第一史料としては無理で、それぞれ補助としてしか使えない。