『説文』入門(16) -「乙」な話(中)-

前回は「乙」に関し音を中心に、『廣韻』の「於筆切」の「於」に[w]系統と[y]系統があり、前者に注目している点を書いた。今回は本居宣長説を紹介し、それぞれを位置づけしたい。
万葉仮名では、「意」「於」「乙」が同じ系統とされ、「乙」が「ヲ」ではなく「オ」と捉えられている。「乙」については本居翁の『玉勝間』四巻「乙字の事」の段に、「乙字をおととよむは、オツてふ音也 但し甲乙を木の兄(きのえ)木の弟(きのと)といふをもて思へば、弟の意にもあらむか、又をとめに乙女と書くは、いづれにしてもひがごと也 をとめは、萬葉に處女未通女など書り、假字は乎也、乙は、オツの音にても、弟の意にとりても、於の假字なれば、をとめには、此字かくべきよしなし」とある。
「を」の仮名は「乎」であって、音についても弟の意味でも、「乙女」の「乙」を「をとめ」の仮字とすべきではないと説いている。この主張では、「乙」が慣習音で捉えられており、かつ「弟」を「オト」と読んでいる。義については再論するとして、万葉仮名に関しては翁らしい帰結と言えそうだ。
だが、だからと言って「乙」の漢語音が「オツ」であったということにはならない。「オツ」は頭子音が消えた後の慣習音であって、これをどこまでも遡らせることはできない。
『集韻』で「乙」を「億姞切」、「億」を「乙力切」とする点が気になるものの、音符の「意」が「於記切」で声母が同じだから、まあ『廣韻』と同様に考えてよかろう。
『梁書』扶桑国条の「乙祁」が漢語の仮借字とすれば、「乙」は漢語であり、当然漢語音で読まねばならない。『梁書』はほぼ同時代史料であり、『廣韻』の「於」に[w][y]の音価がある以上、いずれかを補って読むのが自然である。
『古事記』の仮名では「意」「於」「淤」が「オ」で、「袁」「遠」が「ヲ」である。この仮説では百済でこれらの区分が定着したことになるが、行論から、「乙祁」を弟王である「袁祁」にあてても音韻上さほど問題がないように思える。