後生畏るべし

「後生畏るべし」は諺として使われる。また、「後世畏るべし」として「世」字を使うことも多い。「生」「世」の両例があり、どちらでもよいらしい。「後生」は後輩、「後世」は後の世辺りに解せる。
「畏」は『説文』で「畏 惡也」と定義されて興味深いが、ここでは端折って、「畏怖」「畏敬」など「恐ろしい」「はばかられる」「賢い」などの意味だとしておく。
『論語』では「子曰 後生可畏 焉知來者之不如今也 四十五十而無聞焉 斯亦不足畏也已」(子罕篇22)で「後生」とされており、勉学に励む後輩や若者を指しているだろう。今回はこれについて書いてみようと思う。ただし、何も自分が優れていて、更に有能な若者が現われることを畏れているからではない。
振り返ってみれば、先輩のみならず同輩にも優れた人物を多く見てきた。むしろ私の人生では、ことある度に、自分の出来の悪さを痛感してきたのである。
孔子ほどの人物であれば、自負心もあっただろう。これはこれでよいとして、勉強家の彼が畏れたのであるから、確かに学問の成りがたいことがよく分かる。若者の才能がのびのび育つように、敬意を払って、彼らに接していることを示す文章かもしれない。
私の場合、若者の新鮮な感受性や難しいテーマを次々と乗り越える能力にしばしば畏敬の念を感じてきた。もともと簡単な私の思考回路も古臭くなり、彼らを畏れる毎日を過していると言ってよい。彼らの多くが私を追い越して行くのが日常の茶飯事であり、頼もしく感じることも多い。「後生も畏るべし」である。
だが私が本当に書きたいのは、むしろ、後半部分の「四十五十而無聞焉 斯亦不足畏也已」である。『論語』の文脈からすれば、「四十五十までに名が聞かれないようでは、畏れるに足りないぞ」と若者を叱咤しているとも読める。
だが、五十を遥かに越しておりながら、成果を残せず朽ち果てるしかない私であってみれば、時に人生の悲哀を感じざるを得ないのである。

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