新しい革袋

しばらく暖めておくつもりが、読み返してみると、結構時間がたっている。例によって時期を失したものになってしまった。それでもまあ頭も冷えたことだし、見ていただくことにする。新しい革袋も時間をおけば古くなってしまう。時代錯誤がテーマなら、もっぱら私自身についてだろうと思われるかもしれない。
歴史は古代史であれ現代史であれ、史実をにらみ続ける他ないのであって、ロマンではない。空想や都合の良い推測の入る余地はないのだ。
歴史を学ぶのは良しにつけ悪しにつけ、史実から教訓を得、これを今後の指針にするためだろう。自らの正当性や目先の利益を得ようとする為あからさまにこれを利用しようとすると、あちこちで軋轢を起こす。
ドイツ訪問中の中国国家主席が、去年の3月28日ベルリンで講演し「日本軍国主義による侵略戦争で3500万人を超す軍人、民間人の犠牲者を出した。残虐行為は今も我々の記憶に鮮明に残っている」と述べ、更に旧日本軍による南京事件に言及し「犠牲者は30万人以上」と主張した。
一国の代表が述べたのであるから、彼らの公式見解と見なさざるを得ないが、これがそのまま史実として認められるわけではない。政治家や教育者が史実をつくるわけではないのだ。なぜ今この主張が行われるのかは別にして、確かに日本が中国などアジア諸国へ侵略したことは間違いない。引き続き、それぞれの歴史家が妥協せず史実を浮かび上がらせていかねばならない。
日本が敗戦となり、侵略の反省を踏まえ、数年後にサンフランシスコ講和条約を結んだ。平和国家へ歩み始めたのである。
中国は戦後体制で十分な成果を得てきた。この体制下、一党独裁を継続しながら、資本や技術を蓄積し経済を発展させてきた。これを担ったのが中国人民であるとしても、国交回復後、日本が又これを支えた点も無視できまい。
経済発展を遂げた中国がこの体制を変えようとしている。彼らは至るところでもめごとを起こしている。とりわけ二十一世紀に入ってから膨張主義を突き進み、軍事支出がとどまることを知らぬペースで増大しており、もはや懸念などという段階ではない。
風当たりを避けるため、誰かを、何かを攻撃する。攻撃は最大の防御と言うわけだ。
これを支える論理が大戦での「勝者としての正義」であり、これをもって戦後体制を破壊しようとする。自己矛盾に陥っていると言わざるを得ない。
新しい革袋に古い酒を入れているように見える。友好の歴史を消し去り、第二次大戦がまだ継続しているというのだろうか。
歴史を学ぶのは、平和の礎を築くためだろう。日本が過去の侵略をしっかり反省しなければならないとしても、中国もまた現在の軍拡路線を反省せねばなるまい。

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