餅穴(下)

書き始めたものの、その奥深さに放心状態である。なんとか区切りをつけたいが、どうなりますことやら。いまだ「穴」の解釈が特定できない。
先週、仕事が休みということで餅穴の探索に行ってきた。那比の友人と二人行である。小谷通(おがいつ)の焼餅穴と新宮の入り口にあたる字餅穴の二か所に焦点を絞った。
焼餅穴は谷筋が分かれる手前の左岸にあった。印象に残った点は、次の三つ。
1 岩石の種類が多い。石英質や石灰質のものもそれなりに見つかる。赤茶けた石は褐鉄鉱を含んでいるが、これだけでは薄っぺらくて使い物にはなるまい。谷筋の砂鉄も探ってみた。皆無ではないものの、この辺りの谷筋ならどこでもこれぐらいは見つかるとのこと。
2 表層が表れているところを目視しただけなので、焼石、焼土ないし金クソなど、はっきりした焼成の痕跡は見つからなかった。だが、収穫が零というわけではない。
3 川筋に湧水があって湿地になっており、かつては田圃にしていたと思われる場所があった。かなり広く、水を貯めて池にできそうだ。
新宮川下流一体の字餅穴は、相当広い。現在、新宮への参道は川にそって整備されており、車で行くことができる。谷戸はその入り口で那比川と二間手で合流する所。
地元の人に確認したところ、この字餅穴はかつて修験道の復元を目指して登った尾根道の取りつきが字名の本らしい。前に「貝かけ」(2014/07/07)で紹介した「鬼が坂」の近くである。その時には全く気がつかなかった。
つまりこの餅穴の境界をなしている川筋も尾根も歩いていることになるので、一応周囲は経験しているわけだ。再度行ってみると、褐鉄鉱を含んだ石がごろごろしている。やはり川筋に田圃があったらしい。今のところ湧水があったかは確認できていない。
尾根道に、新宮へも本宮へも下れるルートに「貝かけ」と呼ばれる地滑りで大きく抉られた場所がある。私は規模の大きさから、その原因が鉱山開発による森林破壊である可能性を考慮している。
以上、焼餅穴及び字餅穴はいずれも鉄分を含む岩石があり、谷沿いの地区だから地形が似ているのは当然で、下に田圃にできそうなところを持つ。そう言えば、通称地名として紹介した森の餅穴の下にも「湯舟」という字がある。以上から、「穴」は銅ないし鉄を選別する池という意見も出てきそうだ。
ただ「焼餅穴」からすれば、やはり鉱石を掘った穴や製錬の穴という解釈に魅力を感じる。或いは二層構造になっていて、池を穴と見るのが新しいかもしれない。
そうそう、この間、八幡町洲河にも持穴口という字があることを教えてもらった。更に共通項を見つけやすくなったと言えそうだ。生きていれば、結構楽しみがある。

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