落ち鮎

郡上にいればよく聞く言葉だが、町中なら聞きなれない人が居るかも知れない。「かわさき」に「お国自慢にや肩身がひろい、郡上踊りに鮎の魚」とあり、鮎はお国自慢にも使われるほど馴染みがある。

私は生まれも育ちも海辺なので、川魚に縁が薄かった。海にも歳時記があって、春なら桜鯛や鰆(さわら)、初夏なら太刀魚というような具合で季節が味わえる。郡上に落ち着いてからかなり時間も経ったので、こちらの空気や匂いも少しは身に染みてきた。

山の中で季節を味わうとすれば山菜が中心だろうが、川魚にも旬がある。サツキマスや鮎が遡上する五月ともなれば長良川や吉田川もにぎやかになる。ここら辺りで鮎が解禁されるのは六月に入ってからで友釣りである。釣り人がほぼ等間隔で竿を出すようになると夏が本格化する。お盆前後には友釣りが中心でも、そろそろイカリ掛けが始まる。これをシーズン終りまで続ける人もいる。網を使った漁が解禁されるのがいつ頃なのか知らない。下り始めるころになると簗(ヤナ)が準備される。自慢するだけのことがあって、今も若鮎から下り鮎まで伝統の漁法が生きており、伝統の料理がある。

身の周りにも何人か魚釣りの名人クラスがいる。何かと鮎の情報が耳に入るし、たまに我が家へ回ってくることがある。だが例年この時期にもなれば鮎掛けさんが減ってくるし、食べられるなんていうことはまずない。ところが今年は何回か落ち鮎を食べられる僥倖に恵まれた。

食べ物と言うのは好き嫌いがあって、自分が美味いと思っても皆がそうだというわけでない。私が郡上に住み始めたころ、ある家で鮎雑炊を御馳走になったことがある。鮎を素焼きし、焼きたてをほぐして薄い茶粥に入れていたと思う。香ばしくて、川魚のイメージががらっと変わった瞬間だった。鮎もよかったのだろうし、作り手の腕前も相当だったに違いない。

とは言え鮎は塩焼きにして食べるのが定番と言ってよかろう。執念が浅いからか、私は下手である。せっかく良い鮎やアマゴなどを頂いても、美味しく仕立てられない。近頃これを気の毒に思ったか、上手に塩焼きにして持ってきてくれる奇特な人がいる。彼は鮎かけの腕前も相当なのだろう、沢山とれた時とか、よいものが手に入ったときに持って来るらしい。信じられますか。

今年は何と彼の他に職漁師と言ってよいほどの人から、「大漁だったので」ということで落ち鮎を頂いた。二匹は薄塩で焼いて食べた。皮目が薫りたっていたし、ワタもほろ苦くて香ばしく、まことに結構な味だった。まだ数匹あるので、正月まで冷凍しておくつもりである。味が落ちるとしても、帰郷してくる連中に食べさせてやりたくなった。                                               髭じいさん

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