『説文解字』入門(10) -タブーに挑戦-

このコラムの上に、天然人による天然人語とあるのにお気づきでしょうか。最初これを引き受けたときには、朝日新聞の「天声人語」を真似たものかと思い、なんとかこれを変えたいと直訴したことがある。
だが「天然鮎」「天然芝」など、人間が自然の贈り物として受け取る最上の物の形容に「天然」が使われていることを指摘され、ああそういう願いが込められていたのだと分かり自分の意見を取り下げた経緯があった。
「天」は既に何回か取り上げたので、復習しておくと、『説文』では「一」と「大」の会意字であり、この他象形説、指事説があることを紹介した。
今日は、「然」について考えてみたい。『説文』で「然」は「然 燒也 从火 月犬聲」(十篇上276)である。残念ながらフォントの関係で、「月犬」に分けたが、本来は肉月に犬でつくる一字である。まあ、意味が左程変わらないからこれで辛抱していただく。
下が烈火だから、多少不意打ちの気味があるものの、解の「焼く」は納得できる。段氏によると、「燃焼」の「燃」は俗字だそうだ。
問題は、音符とされる「月犬(ゼン ネン)」である。他の音符もあるのに、わざわざこの字形にしたのは、犬の肉を焼いて食べることが当たり前であったからではないか。とすれば、動物愛護の時代からすれば目を背けたくなる字形だ。
犬を食用にするのは、「羊頭狗肉」などの言葉からも事実と考えてよいらしい。私は漢代の出土物で犬の塑像を見たことがある。二種類あって、一つは自然な形の犬、もう一つは太らせた犬だった。
日本でも、中世のある遺跡でかじったあとの残る犬の骨が出土している。だからと言って日本中どこでも食べたわけではなさそうで、古代には丁重に葬った犬の骨が見つかっている。私はこのタブーとされる犬の肉を食うか食わないかでも、日本列島にやってきた人達をフィルターにかけることができると考えている。
ところで、天然人の理想はさておき、私の頭が「天然」だと考える人が多いと思うが、これはほぼ事実である。