『説文』入門(15) -「乙」な話(上)-

人物画像鏡のシリーズで『梁書』東夷傳・扶桑國条に登場する「乙祁」を『古事記』の「袁祁」にあてた。その根拠をできるだけ分かり易く書きたいが、力が足りない上に中々厄介なので味が出ますかどうか。まずは直球から。
『説文』は「乙 象春艸木冤曲而出 侌气尚彊 其出乙乙也 丨同意 乙承甲 象人頸」(十四篇下122)である。
「象春艸木冤曲而出 侌气尚彊 其出乙乙也」は、「春になり草木が曲がって出てくる姿を象る。陰気が尚強く、出てくるのが難しい様子を表す」というほどの解。
「丨同意」は、篆書体を見ないと実感が持てないかもしれないが、「まっすぐ通じて上下が同じ(陽の)意を持つ」と云う。「乙承甲 象人頸」は「乙は甲を承け、人頸を象る」。
象形字であり字形からは音を辿れない。段氏は『廣韻』を採用して「於筆切」としている。声母となっている「於」は、『説文』では「烏」の略体で、広く使われたため音は複雑だ。まあ、単純化して[w]系統と[y]系統があると言ってよい。
前者は仮名音で言えば、漢音(北音)で「ヲ(wo)」「オ」、呉音(南音)で「ウ(wu)」あたり。後者は北音で「ヨ(yo)」、南音で「オ(yo-o)」あたりを再構できるだろう。
『集韻』は「億姞切」で、韻母の「筆」「姞」が共に入声だから、「乙」は仮名音で言えば「イッ」「オチ」あたり、「オツ」は慣習音ということになる。
「ヲツ」について言えば、素直に北音系の「ヲ」をもとにする場合、南音系の「ウ(wu)」の[w]が残り母音変化した場合が考えられる。
「オツ」については、南音の場合、頭子音の消えるプロセスが南朝で起こっていたのか、百済あたりで消えたのかは分からない。私は、今のところ、前者の可能性を探っている。
『玉篇』は「猗室切」で「キツ」あたり、『釋名』及び『廣雅』は「乙 軋也」だからまた「アツ」「エツ」なども候補に上るだろうが、母音変化などの例としてあげるにとどめ、混乱の原因になりそうなのでこれ以上は言及しない。
さて、「乙」は「オツ」であって「ヲツ」ではないという意見がある。とすれば「乙」と「袁」の声母は別音で仮借にはならないが、上で述べたように、私は声母の「於」に[w]が入っている点を重視している。