体育祭

この歳になると、そうそう面白いことが転がっているわけではない。何かに執着しているのなら、それなりにアドレナリンが出ることもあろうが、殆んどそんな事もなくなってきた。

先週、地元の高校と中学校が同じ日に体育祭をやったらしい。小学校なら運動会になるのかな。いずれにしても私の世代だと秋の日曜日だったものだが、どういう具合か初夏の週央にやるようになった。

最近まで、夏休み明けに体育祭と文化祭を続けてやっていたように思う。これだと夏休みに準備できるので、どちらも結構力が入ったものを見ることができた。高校の場合だと、夏休みの前へ移動し、更に熱中症対策からか五月の終りの今頃に定着してきたようだ。まだ新しい学年に慣れきっていない時期だから、クラスで相談も十分できない内に本番になってしまうと聞いた。

さすがに高校では騎馬戦や綱引きなど力の入る競技をやるらしいので、本人達もそれなりに面白いらしい。三年生は最後の体育祭ということで頑張る子が多いと思われるのに、今年はそうでもなかったようだ。近頃では、秋にやる球技大会へ軸足が移っている子もいる。

新型コロナの流行る以前は、外部の人も体育祭を見学することがあったし、私もたまに顔を出すことがあった。孫も卒業してしまったし、今尚行きづらい雰囲気である。機会があればまた行ってもいいかなとは思う。

中学校の体育祭では、個人競技が殆んど無くなって、大縄とびなどの団体競技ばかりになってしまった。対抗リレーはまだあるらしく、選手だけでなくクラス全員が結構燃えるという。なぜ個人競技が少なくなってきたのか、本当の理由は分からない。目立つ者がいれば影の薄い者も出てくるということか。

学校で鋳型にはまったような子供ばかりを輩出するのは、このご時世で流行らないと思う。子供にはそれぞれ得意な分野を持って欲しいし、それが皆の目に留まるような場所を作ってやる必要がある。学業が今一歩であっても、スポーツが得意であるとか、絵や音楽などの芸術に秀でているとかの子もいるだろう。体育祭はこういった生徒も個人として活躍できる場所の一つであって、かくの如き機会を削ってしまうのでは逆行しているように感じてしまう。

団体競技ばかり先行するからか、大縄とびで失敗するなどチームの足を引っ張ったとして皆の目が集中し、いじめの対象になった実例もある。失敗したことを責めるのではなく、秀でた者を褒めるような状況を作ってやる必要がある。運動能力では劣っていても最善を尽くしているのであればハイタッチに値するし、更にそれぞれ得意な分野があれば、互いに敬意を払うのではなかろうか。                                               髭じいさん

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